ほぼ日書評チャレンジ中

このページにはプロモーションが含まれています。

南海トラフ地震でも原発に影響はないという主張に素人が堂々とノーを突き付けていい理由とは?

この記事は約7分で読めます。

元福井地裁裁判長の樋口英明氏の著書「南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫だという人々」を読みました。結論として、「どうも原発は大丈夫じゃなさそうだ」という認識を新たにしましたので、そのへんの感想とか、本書に関連する情報をまとめてみたいと思います。

樋口英明氏は、2022年制作のドキュメンタリー映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」に登場する元裁判長。2014年に関西電力大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した人です。

【映画の内容紹介】
2014年に関西電力大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した福井地裁の樋口英明裁判長は、定年退官を機に日本国内の全ての原発に共通する危険性を説く活動を始めた。原発訴訟の先頭に立つ河合弘之弁護士は、頻発する地震に原発が耐えられない構造であることを指摘する「樋口理論」をもって新たな裁判を開始する。一方、福島では放射線汚染によって廃業に追い込まれた農業者・近藤恵が、農地上で太陽光発電するソーラーシェアリングに農業復活の道を見いだし、環境学者・飯田哲也の協力を得て日本最大級の営農型太陽光発電を始動させる。

「南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫だという人々」の目次です。

目次
第1章 原発の本質とわが国の原発の問題点
 1 原発の本質/2 わが国の原発の問題点
第2章 南海トラフ地震181ガル(震度五弱)問題
 1 問題の所在/2 伊方原発新規仮処分について/3 新規仮処分広島高裁決定について/4 裁判官はなぜかくも不公平で無責任なのか
第3章 原発回帰と敵基地攻撃能力
 1 原発回帰/2 敵基地攻撃能力/3 法治主義と法の支配
いま私たちが問われていること

南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々 - 株式会社旬報社 働く、学ぶ、育てる、暮らすなどをテーマにする生活に身近な出版社です

第2章の「南海トラフ地震181ガル(震度5弱)問題」とは、愛媛県の伊方原発にかかわる問題です。近い将来に起こるとされている南海トラフ地震。その際に、伊方原発の敷地内には震度5弱相当の揺れしか来ないと四国電力や広島高裁は主張しているのですが、それは過小評価ではないかと、樋口元裁判長は本書で指摘しています。

「181ガル」に言及している2021年の伊方原発運転差止広島裁判の原告団所感も読んでみました。

詳細に四国電力の主張を見てみると、その答弁書や準備書面に、「本件発電所の敷地直下ではフィリピン海プレート上面から地表までの距離が41㎞であることがわかる。このように、南海トラフによる地震の震源となるプレート面から本件発電所までの距離が長くなることで地震動が減衰するため、最大クラスの地震である南海トラフ巨大地震を敷地直下に想定しても、本件発電所に到達する地震動はあまり大きなものにならない」と記載しており、想定される最大地震動を181ガルだとし、私たちが提出した証拠書面(「高知県職員との勉強会記録」)を否定するどころか肯定し、その際のマグニチュードは「9」(以下M9)だとしています。
これを要するに、四国電力はM9の南海トラフ巨大地震が直下41km地点で発生しても伊方原発敷地の最大地震動は181ガルだと主張していることにほかなりません。

「181ガル問題」に関する原告団所感と訴え|伊方原発運転差止広島裁判(2021/05/13)

地学の知識が中学からアップデートされていない私は、南海トラフ巨大地震の起こり方や「ガル」なる単位はよくわかりません。

しかし、素朴な感情として、「伊方原発は大丈夫」という人たちに、

「181ガルって震度5ぐらいらしいけど、だとして近くでM9の地震が起きてるのにその程度で済むものなのか?東北の震災のときには、東京でも震度5強揺れたというし、大阪でも体感できる地震があったんだが」

と問いただしたくなりました。なんかこう、敷地内に結界でも張られているのかと。

本書から私が受け取ったメッセージは、そういった素朴な疑問を大事にしてほしい、というものです。

本書のあとがきにはこうあります。

脱原発の最も強力な敵は「先入観」です。「福島原発事故を経験しているのだから、それなりの避難計画が立てられているだろう」という先入観、「原子力規制委員会の審査に合格しているのだから、少なくとも福島原発事故後に再稼働した原発はそれなりの安全性を備えているだろう」という先入観、「政府が推進しているのだから、原発は必要なのだろう」「原発は難しい問題だから、素人には分からない」という先入観です。
「南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫だという人々」あとがきより

「上の方の人たちがあーだこーだ言って決めたんだから、悪いようにはならないだろう」というのは幻想かもしれません。実際、福島は大丈夫じゃなかったわけですし。

脱炭素だ輸入燃料価格の高騰だで原発回帰の流れが強まっているような昨今ですが、例え「これだから素人は」「お気持ち」などと揶揄されても、違和感を抱いたら声を上げること。

本書をきっかけに、これを今後の原発に対するスタンスにしようと思った次第です。

ところで、「原発は大丈夫だという人々」の正体は、樋口元裁判長もつかみかねているようです。

いや、私も思うのですが、一般的に「愛国」「保守」を自認する人々って、例えば「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」なんていう文言にグッときそうな気がするんですけどね。

これは、樋口元裁判長が担当した大飯原発運転差止訴訟第一審判決からの引用なのですが。

被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが(第3の5),当裁判所は,極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり,その議論の当否を判断すること自体,法的には許されないことであると考えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと,本件原発の稼動停止によって電力供給が停止し,これに伴なって人の生命,身体が危険にさらされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。
被告の主張においても,本件原発の稼動停止による不都合は電力供給の安定性,コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが,たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

2014年の大飯原発運転差止訴訟第一審判決より

しかし実際は保守寄りの人ほど、原発回帰に積極的であるような。再稼働、なんなら新設もするよ!という。

彼らと原発反対派とでは「国」「人」の定義が異なると考えると矛盾はないのですが、では保守の人の言う「国」「人」とは何か?そう考えるとき、なんとも薄ら寒い思いになります。

タイトルとURLをコピーしました