「物言えば唇寒し秋の風」という松尾芭蕉の句がありますが、その変種のような言い回しが2021年5月28日の産経新聞社説で使われているのを確認しました。「物言えば唇寒く」というフレーズです。
社説は、五輪開催をあきらめるな、関係者は大会の意義を語れ、ワクチン接種を含む感染予防に全力を挙げろ、という内容。「物言えば唇寒く」が含まれていたのは、「選手も思いを発信せよ」との小見出しが付いた部分です。以下、引用します。
日の丸を背負う選手たちには、五輪を通して社会に何を残せるのか、語る責任がある。
もの言えば唇寒く、時に理不尽な批判を招く風潮は恐ろしい。それでも社会に働きかける努力を続けてほしい。世論の反発を恐れ、口をつぐんだまま開催の可否を受け入れることはアスリートとしての不戦敗に通じる。
さて、この社説の「物言えば唇寒く」というのは、芭蕉の句の派生と解してよいものでしょうか。
というのは、芭蕉の句「物言えば唇寒し秋の風」は、「悪口を言った後は秋の風のように心が寒くなる」と解釈されており、転じて「何事につけても余計なことを言うと災いを招く」ということわざ・慣用句として用いられるからです。
この意味を適用すると、社説の該当部分は
「悪口や余計なことを言うと禍を招き、時に理不尽な批判を招く風潮は恐ろしい」
となり、この文の意味がよく分からなくなってきます。悪口や余計なことを言って批判されるのは理不尽ではないからです。
何よりも、日本を代表する新聞が、「日の丸を背負う」アスリートたちに、人の悪口を言うなどというスポーツマン精神に反するような行為を要求するとは思えませんし。
もしかすると、この「物言えば唇寒く」は芭蕉の句から派生したものではなく、「多数派とは異なる正論を口にすると理不尽に叩かれる」「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」的な意味を持つ新しい言い回しなのでしょうか。
今のところ、同様の使い方は他に確認できていませんが、全国紙の社説で使われたとなると、今後はあちこちで目にするようになるかもしれません。注意して観察していきたいと思います。
それにしても、アスリートの人たちは大変です。コロナ禍で、ただでさえ自分のパフォーマンスに集中するのが難しいご時世、大会開催の意義まで語れとは要求が過ぎるのではないでしょうか。
私は、少なくとも今夏の東京五輪開催には反対ですが、もし彼らが意を決して自分の言葉で開催を支持する場合、理不尽に叩かれることがないように願います(「夢と希望を与える」「コロナに立ち向かう勇気」なる言葉を使うなら、一切擁護できませんが)。
あと、産経さんに対しては、IOCに対して異を唱えないことの意義を語っていただけないかと。
全国紙のなかでは、最も国の誇りや尊厳、国益を重視する存在と見ているのですが、そんな新聞が、他国の人間から「おまえらに決定権はない」「なんかユニークな粘り強さがあるよね」みたいなことを言われることにつきどう考えているのか。そこんところを知りたいです。