2015年のこのブログは、ひとつ前の日経MJヒット商品番付「ライフスタイル編」についての記事で締めるつもりだった。しかし、自分が昨今言うところの「女子」ではなく、また昔からそうではなかったらしいことが判明し、大晦日にふさわしい清々しい気持ちなので、もう一記事書くことにする。
きっかけとなったのは、『「女子」の誕生』(著・米澤泉)という本。
21世紀を迎える頃からファッション誌では、従来とは異なる意味合いで「女子」という言葉が多用されるようになった。少女ではなく、成熟した女性に対して、「女子」と呼びかけ、ひいては「30代女子」「40代女子」というように、年齢を重ねても「大人女子」であると定義づけられたのだ。なぜ、ファッション誌において「女子」が誕生し、女性は自ら積極的に「女子」を名乗るようになったのか。
(「はじめに」より)
この問いを、女性ファッション誌の変遷と、「JJガール」「VERY妻」「美魔女」など雑誌の創る女性像、また戸川純からきゃりーぱみゅぱみゅに至る「不思議ちゃん」の系譜や、岡崎京子や蜷川実花の世界観などから解き明かそうというのが本書『「女子」の誕生』だ。
本書を読んで、確かに年齢を問わず「女子」という以外に適切な言葉が見つからない属性の人はいるよなあと納得した。彼女らが、他人から「痛いBBAwww」と揶揄されて、怯むようなタマではないことも。
ちなみに、蜷川実花さんも「女子」のついたタイトルの本を出している。
1970年生まれの私のファッション誌の変遷
私は著者と同じ1970年生まれで、学生時代から2000年初めにかけて女性ファッション誌を月2~3冊購読してきた。
『JJ』系の人(コンサバできれいなお姉さん)にはなれそうにないので、『an-an』が紹介するトレンドを可処分金額の範囲で追うも違和感があったり、『SPRiNG』が発行されたときには、「もしかしてコンサバな服を着ないで一生いけるかもしれない」と安堵したり、というのが雑誌との付き合い方。
雑誌を買ってるときには、思うような自分になれない焦りがあり、結局、楽になったのは2000年あたりにファッション誌の購読をやめてからだったな。当時、主に読んでたのは『Voce』だったんだけど、安野モヨコさんの連載『美人画報』を読んで、ふと「自分はこんなに頑張れんなあ」と思ったのがきっかけだった。
本書によると、最近の「女子」に近い意味で「女子」という言葉を、最初に使い始めたのは安野さんではないかという。
そして、本格的な「女子」の発祥は、「28歳、一生“女の子”宣言!」を掲げる雑誌『Sweet』だったらしいのだが、手に取ったこともなかった。1999年創刊で、ギリ対象年齢だったというのに。どうやら私は15~16年ほど前に、「女子」になり損ねたようだ。いやーそうだったか。
『赤毛のアン』で分かる「女子」の判別法
あと、本書がきっかけで、そもそも自分は女児の頃から「女子」ではなかったことが判明し、笑った。「女子」かどうかの分かりやすい見分け方が、「あとがき」に書かれている。
『赤毛のアン』に、アンが流行の「ふくらんだ袖(パフスリーブ)」をどうしても欲しいと主張するも、母代わりのマリラは一蹴。見かねた父代わりのマシュウが、こっそりアンにパフスリーブのドレスを買ってやるシーンがあるのだが、
その時のアンの喜びがわかるだろうか。このシーンに深く共感したなら、あなたはきっとファッション誌の「女子」である。
私は、テレビアニメでこの作品を見た時、10歳だったのだが、幼少時から、母が好んで着せようとしてきたデコラディブなワンピースとかが大嫌いだったので、「何でそんなもんがほしいんだろう?」と思った記憶がある。
ということで、45歳、自分の呼称に悩みがちなお年頃である既婚子無しの私だが、とりあえず「女子」ではないことが確定し、晴れ晴れした気持ちで新年を迎えられそうである。みなさんもよいお年を。