ある言葉が、それまで使われていたのとは異なる意味で人々の間に定着していく過程を見て、軽い興奮を覚えています。「道路族」という言葉です。
全国で相次ぐ「道路族」トラブル、地域共同体の失われた日本社会では防止困難?
「道路族」とは、上記の記事によると「近隣住民の迷惑を顧みず、路上で遊んだり、騒いだりする」人々です。主な生息地は、新興住宅地内の道路。特に袋小路になっている路上でボール遊びや井戸端会議、バーベキューなどが営まれ、そこに加わっていない住民の生活を妨げるとして訴訟沙汰に発展するケースもあるようです。
私がこの意味での「道路族」という言葉を初めて認識したのは、10年ほど前。いわゆるネットスラングとしてでした。
確か生活ネタを扱う掲示板のまとめ記事だったと思います。「近所の子供が自宅の塀にボールをぶつけて遊ぶのを注意したらその親からすごまれ、その後は車にもボールを当てられるようになった」なる内容の一連の書き込みの中で、問題の親子のような人々を指す言葉として「道路族」が使われることがあると知りました。
当時、被害に遭っている人に同情するとともに、「うまい言葉遊びをするもんだな」と感心したものですが、2021年4月、上記の“全国で相次ぐ「道路族」トラブル~”を見て、この意味での使われ方の勢力範囲が広がっていることを実感し、また唸っているというわけです。
ちなみに知恵蔵miniにも収録されています。
さて、ここまでお読みになって、「何を感心しているのだこの書き手は。道路族といえば路上でボール遊びをしたり、キックボードを乗り回したり、井戸端会議に興じたり、バーベキューをしたりとやりたい放題のあいつらしかいないだろう」と思った方はきっと若い人でしょう。
そのような方のためにご説明しますと、ある年齢以上の人は、「道路族」と聞くと「族議員」の一種を思い浮かべるのですよ。
族議員とは、「ある特定の政策部門に関心と知識があり、政策の立案と実施に強い影響力をもつ議員。また、その議員グループ」(引用:族議員(ぞくぎいん)の意味 – goo国語辞書)のことです。その感心と知識により道路族(建設族)、郵政族、農林族、国防族、文教族などに分類されます。
最近は、この言葉自体はあまり聞かなくなった気がしますが、携帯電話の値下げに執心したり、通信大手による大臣や官僚の接待問題への追求が甘かったり、コロナでステイホームが一番という時期に国民に旅行に行こうと推奨したり、少子化なのに学校を新設したり教育勅語を称賛したりという人々は、なんらかの族議員なのでしょう。
要は自分とお友達の関心のため、周りの迷惑をかえりみずごり押しをするのが「族議員」で、そのうち道路建設についてごり押しをするのが、旧来の意味の「道路族」です。
新しい意味の「道路族」を知って唸っている中年以上の人を見かけたら、
- 自分とお友達の利益、楽しみしか頭にない
- 周りの迷惑をかえりみない
- 道路で我が物顔で振る舞う
という点が新旧の「道路族」において見事に共通しているところに感心しているのだ、ということでご理解いただければと思います。
ところで、私は道路で遊ぶこと自体が問題だとは思いませんが、大きな声で騒いだり、ボールを他人の塀や壁、自家用車にぶつけて傷つけたり、通りたいという隣人がいるのに道を空けないなどは言語道断だと考えます。
「道路族」のふるまいを告発する人に対し、公共の場所での行動を制限するのはいかがなものか…などと非難がましい目を向ける人もいるようですが、結果、公共の場所での行動を制限されることになる人の苦痛をどう考えるんだと。
ただ、自分が不幸にも「道路族」の生息域に身を置いてしまったと感じたら、逃げます。相手はおそらく小中学校の教室で幅を利かせていたような連中でしょうから、片隅でマンガを描いていたような人間には勝ち目はありません。正義とか恥とかどうでもいいです。棲み分けが一番です。