グラフィックデザイナーの原研哉さんの本をたて続けに読んでます。
今回読んだ『デザインのデザイン』は、旧友である原田宗典さんの絵本のデザインを担当した折に知り合った編集さんのオファーを受け、書下ろされたという本。原さんがかかわった「RE DESIGN」展や、無印良品のアートディレクション、長野五輪のプログラムデザイン、愛知万博のポスターデザインなどの紹介を通じて、「デザイン」「デザイナー」の役割がくりかえし語られます。
なかでも考えさせられたのが、デザイナーについてのこの一節。
デザイナーは本来、コミュニケーションの問題を様々なメディアを通したデザインで治療する医師のようなものである。だから頭が痛いからといって「頭痛薬」を求めてくる患者に簡単にそれを手渡してはいけない。診察をするとそこには重大な病気が隠れているかもしれない。時には手術も必要になろう。それを発見し最良の解決策を示すのがデザイナーの役割である。
これにはドキッとしましたね。「頭痛薬」を簡単に渡すということをカラーの話に置き換えると、たとえば「グレーをテーマにした服のコーディネートを考えてほしい」とクライアントさんに言われて、その人がどういった意図で「グレー」を望んでいるのかを探ることなく、グレーをテーマにしたコーディネートを提案するようなもんでしょうか。
その効果がクライアントさんの潜在的な意図と合致していた場合は、めでたしめでたし、となるでしょう。しかし、お局さまとの関係修復を図りたかったのに、成績アップ、男性社員ウケという効果が発生してしまったら……考えるだに恐ろしいですね。
さて、上の一節は次の文に続きます。
「頭痛薬」を売ることに専念しているデザイナーは安価な頭痛薬が世間に流通すると慌てることになる。
「安価な頭痛薬」とは、専門家でなくても簡単に精度の高いカラーコーディネートができてしまうツールとか、格安もしくはタダで業務を請け負う同業者に相当するでしょうか。確かに、そういったものが一般的になれば、言われたことだけをやっているコーディネーターは、さくっとお払い箱になりそうです。
もっとも「リクツはいいからとにかく頭痛薬を!」というお客様に対し、「いや、ここはやはり根本のところから解決していきましょうよ」などとやっていると、競合が現れる前にくいっぱぐれる可能性もあるわけで。時には「はいっ」と頭痛薬を出しつつも、本質的な需要をみきわめる努力はおこたらないようにする姿勢が重要かもなあと思った次第です。