『誰のためのデザイン? ― 認知科学者のデザイン原論』 (著:ドナルド・A. ノーマン/翻訳:野島 久雄)を読んだので、今日はその感想です。
本書は、認知心理学者であり、ヒューマンインタフェース研究の草分け的存在であるドナルド・A・ノーマン博士が、私たちの身の周りにある道具と人間の関係を考察し、よりよいデザインとは何かを探る本です。
認知心理学の話は難しいところもありますが、著者の語り口調はユーモアたっぷりで親しみやすく、そして主張はシンプル。私たちが、何かの使い方が分からなかったり、間違えてしまったりするのは、私たちが悪いのではなくて、その道具や機械のデザインが悪いのだというのです。
ノーマン博士の主張によれば、私が過去にやらかしてしまったり、現在もよくやらかしてしまうようなこと、例えば
- 押して開けるドアをいつも引いてしまう
- トイレの照明を点けようとして、隣の洗面所の照明を点けてしまう
- 車のトランクを開けようとして、座席をリクライニングしてしまう
- テレビ番組の予約録画に失敗する
- 電話の転送をしようとして、切ってしまう
- シャワーから湯を出そうとして蛇口から出してしまう
などは、すべてデザインのせいということになります。操作をする対象と、スイッチやレバーの位置が対応してなかったり、操作をしても反応がないので結果が出るまで何がどうなっているか分からなかったりというデザインの責任。そう、私は悪くなかったのです。
おそらく、これをお読みの皆さんも、何かを使うのに失敗したり、最先端の機械が使えなかったりしたときに、ご自身に対して「そそっかしい」「機械オンチ」などという評価を下した経験があると思いますが、この本を読むことで、その認識がガラリと変わるはず。
間違えたり、分からなかったりという経験は恥ではないと捉え、メーカーやデザイナーに「使いにくい」「わからん」という感想をフィードバックしたり、「たぶん賞でも取っているのでしょう」(←ノーマン博士の名言)と皮肉ってみたりしたくなることでしょう。
ただ、デザインする側が、まるで何も分かっていないということはないんでしょうね。この本が書かれたのは1989年。25年前です。それから現在までの間、デザインに関わる人で、この本を読んだ人は少なからずいると思います。
では、なぜ未だに同じような混乱が起こり続けているかというと、本書にも書かれているように、デザインする側にさまざまな制約があるから。時間や予算の都合で、製品テストをする回数が十分でなかったり、必要もない新しい機能を追加するよう求められたり。
結果、使いにくかったり分かりにくかったりする製品が、またひとつ誕生するわけですが、これは企業の間に競争がある限り、仕方がないことなんでしょうかねえ…。
このへんの采配の感覚が絶妙だったのが、元アップルのCEO・故スティーブ・ジョブズだったりするんだろうなあという気がするのですが、誰にでもできることではないんだろうな。やっぱり。
【2015年6月9日追記】
2015年4月に増補・改訂版が出てました。「6章 デザイン思考」が追加されたとのことですし、この機会に読み返してみようと思います。