このページでは「あら」の使い方について考えてみます。
きっかけは、立憲民主党の枝野幸男さんの2022年12月2日のツイート。俳優の渡辺徹さんが11月28日に亡くなったことを受け、驚きとお悔みの言葉をつづったものです。
あら。
世代も近く、太陽にほえろ!にはまっていた者としては、大変ショックです。ドラマでの健康的なイメージがあるだけに、早すぎるという思いが強いです。
心から哀悼の意を表します。渡辺徹さん死去 61歳 敗血症 https://t.co/IhEeNF6YFh
— 枝野幸男 #立憲民主党 #埼玉5区 衆議院議員 (@edanoyukio0531) December 2, 2022
「あら。」から始まるこの追悼文が、一部で炎上しました。怒っている人たちは、人が亡くなったときに「あら」はないだろう!と言っています。
確かに私も、枝野氏の「あら」の使い方には違和感をおぼえました。さて、なぜお悔みの文を「あら」で始めるといけないのでしょうか?
手元の新明解国語辞典で、この場合の「あら」の意味を調べてみました。
感心したり驚いたりした時などに出す、言葉とも言えない声
新明解国語辞典 第八版 P.44 「あら(感)」
とあります。「(感)」は「感動詞」のこと。「ああ」「おや」「まあ」などと同じく、話し手の心の動きを伝える独立した短いフレーズのことです。
辞書の意味によると、「驚いたりした時など」に出す声というなので、枝野さんの使い方は、まあ日本語として間違いということではないのでしょう。
しかし、やはり訃報に驚いたというツイートの第一声として、不適切な感じは否めません。軽いというか、他人事というか。
少なくとも心から動揺したという時に出る声ではないような気がします。
その印象は、おそらくふだんの生活で見聞きする「あら」の使い方によるものではないでしょうか。私の知るところでは、現代における「あら」の使い方は大きく二種類に分かれます。
一つは、「お嬢様」「奥様」など上品な女性という役割の人が発するような「あら」。主に映画、ドラマ、漫画などで見る表現です。小さな驚きや意外さを表わしたり、相手をあざ笑ったりたしなめたりする働きがあるようです。
「あら、子供たちならとっくに出かけましたよ」
「あら、お言葉が過ぎますわよ」
「あらいけない」「あらいやだ」
などなど。感情が高まると、他の感動詞とくっついたり言い方が少し変わったりもします。
「あらあ?そんなこともご存じないんですの?」
「あらあら、そんなところで寝ては風邪をひきますよ」
もう一つは、自分や他人が何か失敗をしているようだ、ちょっと困ったことになっているようだ、と認めるときの第一声。この使い方は、話し手が男性か女性かは問わないように思います。
(ネットで誰かが炎上していると聞いて)「あらー、あの人今度は何をやらかしたんだろう」
以上、日常的に見聞きする「あら」の使い方を二つに分類してみました。共通しているのはこんな印象ではないでしょうか。
- どこか一段高いところや、距離を置いたところから言葉を発している
- 取り扱っている内容が重大ではないと感じている(むしろ軽く見せようとしている?)
だとすると、重大なことを心をこめて語るときの第一声として「あら」はありえない、ということになりそうですよね。追悼文に使うなんてもってのほか、というわけです。
枝野氏の追悼ツイートの場合は、「大変ショックです」「心から哀悼の意を表します」というフレーズが後に続くのですが、「あら」をつけたことによって、それらの言葉が取って付けたようになってしまったような感がありますねえ。
ということで、このページではなぜ追悼文に「あら」を使うと怒られるのか、その理由を「あら」の意味と使い方から探ってみました。
心が動いたことを伝えるフレーズではあるのですが、そこにつきまとうのは「上から」「軽さ」という印象。「あら」が口癖になってしまっている人は、使いどころを点検した方がよさそうです。