「ザッツライフ(That’s life)」の使い方ってそんなだっけ?と衝撃を受けた事例がありましたので、今日はこれを取り上げます。同様に、本来とは異なる角度で使われた結果、人を激怒させたり苛立たせたりする言葉がありますので、あわせてご紹介を。
問題の「ザッツライフ」の用例は、慈恵医大の大木隆生医師が5月1日深夜に放送された「朝まで生テレビ」に出演した際の、質問に対する回答に含まれていたものです。
大木医師に対する質問は、医療のリソースがコロナ対応に振り向けられた結果、他の重病患者の手術の待ち時間が増えることについてどう思うかというものでした。
この質問に対して大木医師が、自分の手術は、長くて6か月、短くて3か月待ちだと前置きした上で、
「待ってる間に死ぬ人だっている、でもそれがザッツライフですよ、ゼロリスクは無いんですよ」
という趣旨の発言したとされ、炎上騒ぎが発生しています。
私は大木医師のことはこの炎上騒ぎで初めて知りました。なので彼の人となりや専門分野についての予備知識はゼロなのですが、お医者さんという立場の人がこの文脈、使い方で「ザッツライフ」という言葉を発することに唖然としました。
この言葉は、フランク・シナトラの歌『That’s Life』にもあるように、不本意な人生を送っている人が覚悟を決めたり、同じ境遇にある人を慰めたりするときに使うものだと思っていたのですが、なんというか今回の「ザッツライフ」は、人に不利益を与えた側が発する
「わざとではなかったのだから仕方ない」
「子どもがしたことだから大目に見てやって」
「困ったときはお互い様と言うでしょう」
と同じ変容を遂げた使い方である気がします。
本来、これらの言葉は不利益を受ける側、例えば不慣れな運転手の車に跳ねられた人、マンションの上階の子どもの騒音で苦しめられている人、貸したお金を返してもらえない人などが、自分を責めるドライバーや子どもを制御できない保護者、金策にかけずり回ったけど万策尽きた人に対して「気にしないで」と慰める場合にかける言葉です。
しかし近年、迷惑をかけた方が「わさとじゃなかったんだから責めないで」「子どものしたことなのに大人げないですね」「困ったときはお互い様なのに冷たいな」などと、「わざとでない」「子どものしたこと」「お互い様」を自己正当化、開き直りに用いることがあります。平たく言えば「お前が言うな!」というやつです。
「ザッツライフ」の場合だと、次の例文のうち②が、「お前が言うな!」の用例です。
①先生の手術を待つと決断したのは自分です。ザッツライフですよ。
②私の手術を待つと決断したのはあなたです。ザッツライフですよ。
①では自分の覚悟の表明、関係者へのいたわりとして使われている言葉が、②では自己責任を問う刃となってしまっています。医師は「そんなつもりはなかった」というかもしれませんが、つもりに意味はありません。まあそれもザッツライフということで。
それはさておき、今回の「ザッツライフ」の用法が、「わざとでない」「子どものしたこと」「お互い様」と同じような広まり方をしないことを願いたいところです。
ましてや、医療がコロナ対応に全振りされるために、適切な治療を受けられるのを待つことを余儀なくされている人たちに、他人からこの言葉が向けられるなどということがありませんように。